BONZE
bodhimandala
【仏説阿弥陀経】
解説(おもいこみ)
浄土真宗
運行寺 菅原 侍

【聞くことの大切さ】
 仏教の学びの姿勢を表わす言葉に「聞思修」というのがあります。 まず、聞きなさい。聞いたら「思」、疑いなさい。疑ったら再度聞きなおして、納得したら自分の中に修めなさい。親鸞聖人は100度も法然上人のもとへ通い、「本当に念仏で救われるのですか」とお聞きになりました。聞く側も答える側も根気のいるお話です。
 さて、私たちはともすると「あの先生の話は良い」「あの先生の話はわかりやすい」だのと、話し手の評価をしがちです。しかし、話の仕方や内容の前に問われなくてはならないのは聞き手の「聞く力」ではないでしょうか。いいとか悪いとかは自己の価値でしかありません。良し悪しを超えたところで聞いていくことが重要でかつ大変難しいのではないでしょうか。
戻る

【極楽、極楽!】
 「生のみが我等にあらず 死もまた我等なり」という清沢満之氏の言葉があります。無数の縁の集合体が今の私を構成しているのです。自分にとって喜ばしい事も、また喜ばしくなく、できることなら避けたい事実も今の自分を作っている一部分でしかありません。教えを聞くということは「ありのままの自分をいただく」ということです。「苦」もまた自分そのものです。それを受け止めたとき、それは苦ではなくなります。教えを聞く者には苦は存在しません。その世界を極楽(浄土)と言います。
 温泉につかって思わず口から「極楽、極楽!」と出てしまうことってありますよね。特にご婦人方は食事の心配もいらず、すべての家事から解放されまさに至福の時でしょう。しかし、二日も温泉に浸かっていては飽きてしまい、家が恋しくなります。ようやく家にたどりつくと、今度は「やっぱりうちが一番いいや」と口からでてきます。チルチルとミチルが幸せになるという青い鳥を追い求めますが、結局見つけだすことはできませんでした。最後に諦(あきら)めて家に戻ると、そこに探し求めていた青い鳥が飛んでいるではありませんか。さてさて、これは何を教えてくださっているのでしょうか。私たちはとかく外に幸せを求めてしまいます。しかし、実際にはあなたの幸せはあなたのいるここにしかないんだよ。と言われているような気がいたします。チルチルとミチルは諦めて帰りましたが、実は本当の幸せははじめから自分の家にあったことが諦(あきら)かになったのではないでしょうか。
戻る

【東南西北(四門出遊のおはなし)】
 ある朝若きお釈迦様はお城の東の門からお散歩に出かけられました。そこで城内では見かけない人の姿を目にします。お付きの者に「あれは何者か?」と問うと、お付きの者は「老人でございます。人は皆やがて年をとります」と答えました。翌日、今度は南の門から城を後にします。すると間もなくまた見慣れない姿が見られました。同じように尋ねると、「あれは病人でございます。なかにはそのまま死ぬものもおります」。若きお釈迦様の生活の中には、老人も病人も、おりませんでした。また翌日西の門から出かけますと悲しそうな顔をした人々の行列を目にします。するとお付きの者は「あれは死人を葬るものたちの列です」と答えました。ゴータマ君は城の中では出会う事のない、「老・病・死」に出会いました。そして最後に北の門の外にいたバラモン(僧侶)に出会い、そのまま出家されたといわれています。
 東の門は上る太陽を表していると言われています。いままさに上った太陽は若さの象徴ですが、若さの裏には「老い」が潜んでいます。南の門は真っ盛りの太陽です。今が働き盛りの姿です。しかし、その裏に「病」が見え隠れします。西の門は落日です。人間の終焉を意味します。最後の北の門は最も日当たり悪い厳しい冬です。しかし、その厳しさの中に真実(僧)が隠れていました。「かわいい子には旅をさせよ」でした。
戻る

↑TOP
お坊さんの小話-トップ-

仏説阿弥陀経 目次

仏説阿弥陀経 全文

仏説阿弥陀経 言葉の意味


Copyright © 2009
MIYABI