中国には、古来より東西南北を司る四匹の聖獣がいるとされてきました。東の青龍、西の白虎、南の朱雀(鳳凰)、北の玄武(亀と蛇)これを「四神」と云います。三具足(鶴亀の蝋燭立て・金香炉・花瓶)は、この「四神」を見立てています。玄武と朱雀は鶴亀の蝋燭立ての亀と鶴。白虎は金香炉の蓋に乗っている獅子。青龍は花瓶の模様を龍の鱗に見立てています。
そしてこの三具足で(四神が東西南北を司っている事から転じて)我々の生きている娑婆世界を表しています。その奥に阿弥陀如来がおられます。こうお話すると、阿弥陀さんが天から我々を見守っているんだと解釈されそうですが、そこは大きく違います。
お仏壇の阿弥陀如来を、こう意味付けてみてください。私たちより先に亡くなっていった全ての「いのち」と。人だけでなく、鳥や魚、動物、昆虫、野菜、草花木その全てを表していると。ならば…阿弥陀如来は天から見守っているのではなく、娑婆世界を母が子を抱きかかえる様にしっかりと包み支えてくれていると感じられないでしょうか。
私たちが生きている娑婆世界は、数えきれない無数の屍の上に成り立っています。その現実を私たちに気付かせるために、阿弥陀如来の前に必ず三具足が置かれるのです。
しかし、急にそう言われてもなかなか実感できません。「あぁ…そうであったか!」とこの身が震える事などほど遠い話です。だから、法名を三具足が置かれている台(前卓と言います)に下げるのです。自分にとって一番近い存在。であれば「いのち」の繋がりを感じ、今に至る遥かな時を実感する事は難しい事ではないはずです。そしてふと見上げると、阿弥陀如来が…。そこに「今」を支える「いのち」が在る。故に、阿弥陀如来、三具足、法名のこの一直線の順番が入れ替わることは決してありません。
へいぜい何気なく見ているお仏壇のお荘厳に、実はこのような深い意味が込められています。どうでしょうか?今からお仏壇の前に座ってみませんか?たぶん今までと違った気持ちでお参りすることが出来ると思いますよ。(お荘厳・3につづく)