亡くなる間際まで、事あるごとに祖母に言われ続けた言葉があった。祖母の言葉を借りて言うなら、「なぁ修、人様からものをいただく時は、絶対にいらんと言うたらダメながやぞ。それがたとえリンゴ一個でも、水一杯でも、有り難う言うて頭下げていただくがやぞ」と言うものだった。そして必ず「何でなら、ものじゃなく、こころをいただくがやからなっ」と続いた。
初めてその言葉を聞いたのは、私がまだ保育園へ通っていた頃だったのではないだろうか?まだ、その言葉の意味も、そこに込められた祖母の思いも感じられず、ただ祖母の口癖ぐらいにしか感じていなかった。
祖母のこの口癖が、深く大きな意味を持つ事に気付かされたのは、それから十年ほどたったある出来事がきっかけだった。
その日祖母は、訪ねてきた古い友人と世間話に花をさかせていた。お茶を飲みながら、祖母の友人がこんな話をしだした。「この間、隣の奥さんがお裾分けですと言ってリンゴを持って来た。なんやら嫁のお里からギョウサン送ってきたがやと。後で袋開けてみたらたったリンゴ3個や。家は7人家族なん知っとるげんさかい、せめて5個ぐらい持ってきたらいいがに!欲なねぇ〜」
「そんなこと言わんこっちゃ!」静かで悲しげな、それでいて毅然とした祖母の言葉だった。「誰が憎い相手に、水一杯でも飲ましたいと思うこっちゃ。あんたら家族に食べてもらいたい。そう思うからこそ持って来てくれたがやろ。たとえそれがリンゴ1個でも、有り難いがいね。リンゴ貰うたんじゃない、こころ貰うたんやろ」
その時、初めて祖母の言わんとしている事を、少しは理解出来たと思えた瞬間だった。そうか!そうなんだ!である。それ以来、祖母のその言葉は私の口癖になっていた…。(今現在説法・3につづく)