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bodhimandala
【五体満足】
[1999/10]

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 桜で知られる奈良県吉野の里近郊にある私立の重度障害者施設「S園」。ここの教師である弟から久しぶりの電話。一通の手紙がとどいたという。内容はある少年の死と、その母親から弟へのお礼を綴ったもの。
 「限界領域児童」。少年はそう呼ばれる少年だった。弟いわく、限界領域児童とは、重度の肢体不自由おかされ、今年を生きているのが限界の子どもたち。つまり、来年は生きていないであろう子どもたちのことなのだそうだ。
 弟がその少年に出会ったのは昨年の夏の頃。すでに車イスなしでは移動することができない身体だった。少年は、海辺や野原を力一杯走っている夢をよくみるという。その夢を少しでもかなえたいと、少年を背負って弟は園の後方に広がる小高い丘へとでかけた。
 丘を走る弟の背で、少年は喜びの声をあげ、はしゃいだ。丘の頂上に近づいた時、少年の口から思いがけない言葉が発せられた。「ねぇ、お兄ちゃん疲れない?大丈夫?汗いっぱいかいてるよ。僕、もう十分楽しかったよ」と。
 弟は、その時のことをこう話す。
「羽のように軽く、歩くことすらできない小さな子が五体満足で鍛えに鍛えた(弟は学生時代柔道の選手)俺の身を案ずる。なんという心の高さであろうか。それにひきかえ俺はなんだ。動けて、走れて、望んだ仕事をして、それでも毎日不満を言っている。なんという心の貧しさだ。何かで頭を殴られたような衝撃を感じた」と。
 『五体不満足』という本が今ベストセラーになっている。障害にめげず、明るく前向きに力いっぱい生きる男性の姿がその本の中で、描かれている。私たちは五体満足がゆえに、不満を抱き、心貧しく、真に何が大切なのかを見失い、日々の生活を送っている。不満足が満足を生み、満足が不満足を生むというこの矛盾は一体なんだろう。
 「生きている」と「息をしている」とは違うと語った人がいる。「生きている」ということに関して言えば、はるかに障害をもつ人たちの方が生きているかもしれない。「俺たちは五体満足だよね。何しているんだろうね…」と電話は切れた。深い問いかけが残る電話だった。

合掌
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